こんにちは。
りんです。
『千と千尋の神隠し』には、
たくさんの神さまたちが登場します。
けれど、その姿はどこか荘厳というより、
身近で、不完全で、
人間味を帯びているようにも見えます。
この物語が描いているのは、
神と人間がはっきり分かれた世界というよりも、
同じ場所に存在し、
影響し合っている関係なのかもしれません。



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八百万の神がいる世界は、遠い場所ではないのかもしれない

日本の神さまは、
自然や暮らしのすぐそばに
宿る存在として語られてきました。
山や川、道具や場所など、
特別ではないものの中にも、
神がいると考えられてきた文化があります。
映画に登場する神々もまた、
威厳に満ちた存在というより、
疲れていたり、汚れていたり、
少し困っているように描かれています。
それは、「神さま=完璧な存在」と
決めつけるのではなく、
人間と地続きの存在として
描こうとしているようにも感じられます。
だから千尋は、
神々を前にして戸惑いながらも、
逃げずに向き合うことができたのかもしれません。
人間は、守る側でも裁かれる側でもない存在として

川の神の場面では、
最初は恐ろしい存在に見えたものが、
人間の生活によって
傷つけられていた神であったことが明らかになります。
この描写から、
人間が完全な悪として描かれているようには感じられません。
同時に、
善として持ち上げられているわけでもありません。
人間はただ、
知らないうちに
世界に影響を与えてしまう存在として
描かれているように見えます。
神々もまた、
人間を裁く存在というより、
影響を受け、傷つき、
ときに助けを必要とする存在として描かれているようです。
そこには、
はっきりした上下関係ではなく、
不安定で、あいまいな「あいだ」が
あるように感じられます。
境界線がはっきりしない世界で、生きていくということ

『千と千尋の神隠し』の世界には、
明確な答えや、
分かりやすい善悪はあまり示されていません。
神と人間、
正しさと間違い、
大人と子ども。
そのどれもが、
きれいに分けられていない世界です。
だからこそ、
この作品は、
見る人の立場や年齢によって、
感じ方が少しずつ変わっていくのかもしれません。
まとめ

『千と千尋の神隠し』が描いているのは、
八百万の神と人間が、
同じ世界で、
影響を与え合いながら生きている姿なのかもしれません。



