こんにちは。
りんです。
『GTO』を久しぶりに見返してみると、
派手な行動や過激な展開の裏に、
静かに貫かれているメッセージがあることに気づきます。
それは、
「正しいかどうか」だけで人を判断しないこと。
この作品が多くの人の心に残り続けている理由は、
そこにあるのではないでしょうか。



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正論だけでは、救えない気持ちがある

主人公・鬼塚英吉は、
教師としてはかなり型破りです。
ルールを守らないこともあるし、
大人として問題視される行動も少なくありません。
それでも鬼塚は、
生徒に向かって正論を突きつけることを、
ほとんどしません。
「それは間違っている」
「こうするのが正解だ」
そう言えば済む場面でも、
彼はまず相手の立場に立とうとします。
行動の裏にある気持ちや、
そこまで追い詰められた理由を、
真正面から受け止めようとする。
GTOは、
正しさよりも人の心に向き合うことの難しさを
描いている作品です。
鬼塚は「正しい大人」ではない

鬼塚は、完璧な教師ではありません。
失敗もするし、
間違った選択をすることもあります。
それでも彼が特別なのは、
問題から逃げないところです。
学校の立場や世間の評価を優先すれば、
見て見ぬふりをした方が楽な場面でも、
鬼塚は目の前の生徒を置き去りにしません。
「正しい対応」よりも、
「今、この子が何を感じているのか」を大切にする。
その姿勢は、
不器用で危うくもありますが、
だからこそ本気で向き合っていることが伝わってきます。
大切なのは「裁くこと」ではなく「理解しようとすること」

GTOが伝えてくれるのは、
正しさそのものを否定する話ではありません。
問題なのは、
正しさだけで人を裁いてしまうこと。
理由を聞く前に結論を出し、
背景を知る前に線を引いてしまうと、
本当の苦しさは、誰にも届かなくなってしまいます。
鬼塚は、答えを押しつける教師ではなく、
一緒に悩み、一緒に傷つく大人であろうとしました。
その姿勢が、
生徒たちの心を少しずつ
動かしていったのだと思います。
大人になってから気づく、GTOの重さ

子どものころに見ていたときは、
鬼塚の行動は「かっこいい」
「面白い」と感じるものでした。
けれど大人になってから見ると、
その選択がどれほど重いものだったのかが、
よく分かります。
批判を受ける覚悟。
それでも誰かのそばに立つ覚悟。
GTOは、
「立派な大人」になる話ではなく、
「逃げない大人でいること」の物語なのかもしれません。
まとめ

『GTO』が伝えてくれたのは、
正しさを押しつける強さではなく、
誰かのそばに立ち続ける覚悟でした。
逃げずに向き合おうとする姿勢こそが、
人の心を動かすのだと思います。



